2026年のNコン中学校の部で課題曲を手がけた反田恭平。
反田恭平の「はなへ。」は優しい雰囲気の美しい曲です。
中学時代の揺れ動く気持ちをあらわし、エールを送って励ましてくれているように思えます。
反田恭平といえば、ショパンコンクールでの第二位受賞という快挙が、まだ記憶に新しいですが、いまや指揮者・実業家としての顔も持つスーパー音楽家として活躍していますね。
その素顔は「クラシック界の常識」を覆すようなエネルギーに溢れていて、目が離せません。
角野隼人さんとともにこれからますます「新しいクラシック音楽界」を作り上げていくのではないでしょうか。
そんな反田恭平の中学時代は?そして現在に至る道のりは?等、興味が尽きませんね。
今回は意外な中学時代、その後の活躍などをまとめてみました。
尚、ショパンコンクールについての豆知識を最後にのせています。
ぜひ最後まで読んで、反田恭平さんをより良く知ってくださいね。
反田恭平はどんな人?「クラシック界の革命児」の素顔
1994年北海道で生まれ、幼稚園の時から東京都に移り住んだそうです。
お母さんの影響でヤマハの音楽教室でピアノを習うことになり、その後桐朋学園「子供のための音楽教室」で、音感教育をうけます。
ここではソルフェージュ(歌う、聴き取る、リズム練習など音楽の基礎となる練習)を受け音楽の基礎を身につけました。
それでも、反田少年は小学校時代はサッカーに夢中になって、サッカー選手になることを夢見ていたそうです。
ところが、小学5年生の時にサッカーの試合で手首を骨折してしまいました。その時の痛みが忘れられなく、サッカー選手は諦めたのだそうです。
こんなやんちゃな反田少年でしたが、ピアノはずっと続けていたのです。
反田恭平の意外すぎる中学時代
中学校は地元の世田谷区立烏山中学校に進みました。
反田恭平の中学時代は本人曰く「賑やかなお調子者」でムードメーカー、クラスの人気者だったようです。
ただ、女子からの人気は意外にも(?)いま一つシビアだったという、面白いエピソードも(‘;’)
この年頃の女の子は面白いより、かっこいいのが好みかもしれませんね(笑)
しかし、家に帰ってからはクラシック音楽漬けの毎日で、漫画の「ピアノの森」の主人公たちが弾く作品の楽譜を買って弾いていたとか。
※「ピアノの森」とはカイという少年が、森の端に捨てられてあったピアノをおもちゃ代わりにしていたが、ある日それを聴いた転校生の修平がとても驚き、かつて天才ピアニストだった音楽教師に話す…。
カイの音楽の才能が見いだされ、やがてショパンコンクールに挑戦するという漫画です。
またこのころテレビの音楽番組「題名のない音楽会」でオーケストラを指揮する機会を得て、「指揮者になって、音楽の道で生きていこう」との意志を固めたのだそうです。
そしてお父さんに音楽の道に進みたいと願い出たのですが、お父さんは息子の将来は自分と同じ一流企業に勤めて欲しいと思っていたようです。
「男は音楽なんかやるものじゃない」「そんなに音楽高校に行きたいのならコンクールで優勝してこい」と…。
親心としては音楽家など海のものとも山のものとも知れずで、心配だったのでしょうね。
昔々の話ですが、私の父も「そんな瓦乞食みたいなもの(古い表現⁉)、ダメだ」と猛反対していました。
そこで反田恭平少年は一念発起してピアノを猛練習し、なんと受けたコンクールの一つは最高賞、他のコンクールのすべてに優勝したのです。こんなに才能豊かな人はまれだと思います。
やっとお父さんのお許しが出て、晴れて桐朋女子高等学校音楽科(音楽科は共学)に入学することができました。
日本の音楽界をリードする人材が失われなくて、本当に良かったです。
このあたりのお話はなんだかヘンデルに似ていますね。
ヘンデルも音楽とは無縁の家庭に生まれ、お父さんもヘンデルが音楽家になることには猛反対していたのです。
ひそかに屋根裏部屋でクラビコードの練習をしていた話が、思い出されます。
反田恭平は、このような中学時代をNコンの作曲者メッセージで、「あの3年間はかけがえのないものだったと思います。友達、家族、音楽のどれ一つでも欠けていたら、今の自分はありません」…と述べています。
中学時代は進路のこと、友達のこと、親子関係などに心がゆれ動く、多感な時期のはじまりですものね。
反田恭平ショパンコンクールでの快挙、そして「音楽の未来」を創るリーダーへ
中学時代に指揮者を志し、高校から本格的に音楽の専門教育へと進んだ反田恭平さん。その後の歩みは、まさに快進撃といっても良いでしょう。
その一つはロシア・ポーランドでの研鑽です。
高校卒業後、単身ロシアに留学し、モスクワ音楽院に首席で入学しました。
その後、ショパンコンクールに向けて、ポーランドのショパン国立音楽大学でも学びます。
この頃にはすでにプロのピアニストとして活躍しながら、本場のピアニズムをどんどん吸収していったのです。
そしてもう一つ世界を揺るがした2021年の出来事
反田恭平は「第18回ショパン国際ピアノコンクール」で、日本人として半世紀ぶりの最高位(第2位)を受賞しました。
反田恭平の長い髪を束ねたサムライのようなスタイルと、ショパン音楽の解釈のすばらしさ、美しい音と圧倒的な演奏が世界中で大きな話題となっていました。
そして 現在はピアニストとしてだけでなく、自らオーケストラを株式会社として設立し、指揮者や実業家としても活動しています。
また奈良を拠点にして、若手音楽家を育てるための音楽学校を作るという大きな夢に向かって走り続けています。
後進を育てるということが、反田恭平の誠実な人柄、思想のすばらしさの現れではないかと思います。
反田恭平Nコン課題曲「はなへ。」に繋がるメッセージ
中学時代にサッカーを愛し、時に悩み、時に仲間と笑い合ってきた反田恭平だからこそ、今回の中学校の部課題曲『はなへ。』には特別な想いが込められているのでしょう。
反田恭平の「歌は人の原点」という言葉は、世界を舞台に活躍する今も、その根底にある中学時代の「音楽を心から楽しむ心」に繋がっているのかもしれませんね。
2026年、全国の中学生が奏でる『はなへ。』反田恭平を知ると、その一音一音がより深く、私たちの心に「どきん」と響いてくるでしょう。
ショパンコンクールの成りたちと現在までの経緯
ショパン国際ピアノコンクールは、世界で最も権威のある音楽コンクールの一つとして知られています。
その成り立ちには「ショパンの音楽を守る」という当時の熱い情熱と、歴史的な背景が深く関わっているのです。
ショパンコンクールの誕生から現在までの経緯を、いくつかの重要なポイントに分けてまとめてみました。
ショパンへの誤解を解くために創設
1920年代、ポーランドのピアニストであり教育者でもあったイェジ・ジュラフレフ教授がこのコンクールを発案しました。
当時、ピアノの詩人といわれるショパンの音楽は「感傷的でひ弱な病人の音楽」という偏った解釈をされることが多く、あまりに自由に(あるいは乱暴に)演奏される傾向にあったのです。
ジュラフレフ教授は、ショパンの真の芸術性を守り、「正統なショパン演奏」を普及させる必要があると考えました。
また、若いピアニストたちに切磋琢磨する機会を与えることも、大きな目的でした。
第1回大会の開催(1927年)
多くの困難(資金難や「ピアノのコンクールなんて成功するわけがない」という周囲の懐疑的な目)を乗り越え、1927年にワルシャワのフィルハーモニー・ホールで第1回大会が開催されたのです。
当初からショパンの命日に合わせて、5年ごとに開催するというサイクルが決められました。
第二次世界大戦による中断と復活
1927年から順調に回を重ねていたコンクールでしたが、第二次世界大戦によって大きな試練を迎えます。
ナチスによる禁止
ポーランドを占領したナチス・ドイツは、ポーランド人の民族的誇りである、ショパンの曲を演奏してはならないと、禁じたのです。
当然ショパンコンクールなどはもっての外、開催することは出来ません。
戦後の復活(1949年)
激しい戦火でワルシャワの街は、瓦礫の山となってしまいました。
それでもショパン没後100周年にあたる1949年、終戦直後ではありましたが、コンクールは奇跡的に復活しました。
フィルハーモニー・ホールは破壊されたものの、新しく再建された会場で第4回大会が行われることになったのです。
世界最高峰の登竜門へ
1950年代以降、コンクールは国際的な影響力をさらに強めていきます。
スターの輩出
ウラジミール・アシュケナージ(1955年・2位)、マウリツィオ・ポリーニ(1960年)、マルタ・アルゲリッチ(1965年)など、後にクラシック界の巨匠となる才能を次々と世に送り出しました。
また、「優勝者なし」という回(1990年、1995年)があるほど、審査基準が非常に厳しいことでも有名です。
これは「ショパンの音楽を体現するにふさわしいレベル」を維持するための審査だということを表しています。
現代のショパンコンクール
近年では、インターネットによる全世界生中継が行われるなど、世界中で最も注目される音楽イベントとなりました。
日本でもYouTubeで盛んに放映されていましたので、視聴した人も多かったのではないでしょうか。
ショパンコンクールが一般にも広く知られ、日本人ピアニストの活躍も目覚ましいものがありました。
ピリオド楽器の導入
2018年からは、ショパンの時代にあったピアノ(18世紀〜19世紀の古楽器)を使用した「ショパン国際ピリオド楽器コンクール」も開催されるようになり、ショパンの音楽の本質を多角的に探る試みが続いています。
豆知識
ショパンコンクールは、他の多くの国際コンクールと違い、「ショパンの作品しか弾いてはいけない」という極めて特殊なルールがあります。
これにより、ショパンの精神をいかに理解しているか、またそれをいかに今に生かすかが、大きなテーマとなってるのではないでしょうか。

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