シューベルトはどんな人?生涯と代表的な作品

学校の音楽室で、シューベルトの肖像画を見たことのある人もいるでしょう。
クラシック音楽に詳しくない人でも、「魔王」の激しいピアノの旋律や、「アヴェ・マリア」の美しいメロディを一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。

そんな偉大な名曲を残したシューベルトの生涯はわずか31年という、驚くほどの短さでした。
「天才作曲家」と聞くと、どこか近寄りがたいイメージを持つかもしれませんね。
しかし、シューベルトは、内気で優しく、どこか放っておけない愛されキャラだったようです。

お金には恵まれなかったけれど、彼を大好きな友人たちに囲まれ、支えられながら音楽を書き続けた人でした。
この記事では、そんなシューベルトの人間味あふれる素顔や、名曲の裏に隠されたドラマ、そしてナポレオン没落後の息苦しい時代との闘いを、分かりやすく紐解いていきます。

読み終わる頃には、あの肖像画の裏にある、彼の純粋な魂と温かい音楽が、もっと愛おしく感じられるかもしれませんよ。

シューベルトってどんな人?愛すべき「放っておけない」キャラクター

シューベルト音楽一家に生まれ、神童として育った幼少期

フランツ・ペーター・シューベルト(1797年~1828年)はオーストリアのウイーンで生まれました。
お父さんは人びとに尊敬される、とても真面目な校長先生でしたが、家庭はあまり豊かではなかったようです。
豊かな家庭ではなかったものの、シューベルトはお父さんや三人のお兄さんから愛情を注がれて育ったのです。

幼かったシューベルトはお父さんからヴァイオリンを、お兄さんからピアノを習い始めます。
シューベルトはすぐに二人を追い越してしまうほどの、才能を発揮しました。
それでお父さんはシューベルトが7歳になったころ、地元の教会オルガニストのミヒャエル・ホルツァーに音楽教育を依頼します。
指導していたホルツァーは、シューベルトの才能をすぐに認めることになりました。

シューベルト映画「アマデウス」の悪役?恩師サリエリとの出会い

11歳で寄宿制神学校(コンヴィクト)に合格し、のちにここで、映画『アマデウス』でモーッアルトのライバルとして描かれたアントニオ・サリエリに作曲を学ぶことになります
作曲家のサリエリはとても有能な教師でもあり、ベートーヴェンもレッスンを受けたことがありました。
また、生徒からはレッスン料を受け取らなかったそうです。
「アマデウス」では悪役にされてしまいましたが、ちょっと違うのかもしれませんね。

シューベルトはこの寄宿学校で8歳年上のシュパウンという生涯の友を得るのです。
シュパウンは貴族の息子で、コンヴィクトで音楽を学んだあとウイーン大学で法律を学び、今で言う国家公務員となった人です。
何かにつけてシューベルトを助け、シューベルトの才能を大切に見守っていったのです。
このようにして周囲から愛され、支援されるシューベルトは内気で優しく、純粋な魂の持ち主でした。
きっと、放って置けないキャラだったのでしょうね。

シューベルト15歳からの本格的な作曲活動と、早い才能の開花

シューベルトが15歳になったころ、お父さんは家族による弦楽四重奏団を作りました。
お兄さん二人がヴァイオリンをシューベルトはヴィオラを、そしてお父さんがチェロを担当したのです。
そしてシューベルトは家族で演奏するために弦楽四重奏曲を作曲し、次の年には交響曲第1番の第1楽章とオペラを書いています。
作曲の勉強を始めてそう年月も経っていないのに、広いジャンルの音楽を書いたので、師匠のサリエリがそれを見てとても驚いたとのことです。
シューベルトは16歳から18歳にかけてミサ曲やオペラ、弦楽四重奏曲などを作曲し、傑作と言われる歌曲「糸を紡ぐグレートヒェン」も書いています。

「糸を紡ぐグレートヒェン」はとても美しい曲です。
ピアノパートがクルクルと糸車が回っているようすを描いて、それにのって初めての失恋を嘆く乙女のぶつぶつと堂々巡りの歌なんです。
文豪ゲーテの詩によるこの歌曲を、わずか17歳のときに書いたのですからその才能は、モーッアルトに匹敵すると思います。

シューベルトが20歳になる頃にサリエリは「もう教えることは無い」と言いって、レッスンを終えることにしました。

この頃シューベルトは歌曲を145曲も書きました。
そのうちの30曲はゲーテの「ファウスト」を読んで感動し、ゲーテの詩を歌曲にしたものです。
「魔王」という曲を聞いたことがある人もいるでしょう。この曲もゲーテの詩によるものです。
「お父さん、お父さん」という子供の叫び声が耳に残る悲痛な歌ですよね。

シューベルト時代の荒波と「シューベルティアーデ」

ナポレオン没落と「検閲」が音楽に与えた影

シューベルトが20代を迎える頃、時代の足音がシューベルトの自由を脅かし始めます。ナポレオン没落後、ウイーンでは反動的な体制が敷かれて、これに不満を持つ学生たちの学生運動が起こったりしていました。
このことによって指導者は徹底的に自由を抑え込むようになります。
言葉を伴う作品が検閲の対象となったのです。

とうぜん音楽にも影響が及び、歌曲やオペラも検閲の対象となりました。
シューベルトにも、検閲の目が向けられます。

シューベルトのオペラ「グラフェン伯爵」が貴族制を批判するものが含まれているという理由で、上演禁止になりました。
また、歌曲の題名を変えさせられたりもしたのです。

シューベルトを支えた、演奏家ではない仲間たちのサロン

この頃シューベルトはお父さんの学校で教職についていたものの、作曲の時間が削られることに悩んでいました。
友人のショーバーの勧めもあって教師の仕事を辞めて、ショーバーの家に滞在することになります。
ここではほぼ一日中作曲に没頭し、「交響曲第4番 ハ短調」「交響曲第5番 変ロ長調」を作曲しています。

しかし、教師の仕事を辞めて収入もなく、作品が演奏されたり出版されることも無いシューベルトは、とても貧しかったのです。
この時代の音楽家は作曲家より演奏家として認められることが重要でした。

シューベルトはモーツアルトやベートーヴェンのような優れた演奏者ではなかったので、自分の作品を演奏して、広く世に知らしめることができません。

でも、シューベルトには支援する友人が多く、そのお陰で小さなサロンでコンサートを開けるようになります。
そのサロンはシューベルトの作品を聴く会という意味で「シューベルティアーデ」と呼ばれていました。

シューベルティアーデでは、小規模ながら本当に音楽が好きな人々が集まり、シューベルトの音楽を楽しんでいました。
シューベルトは友人が紹介する初めて会う人に「あなたは何ができるの?」と聞くそうです。
「シューベルティアーデ」では皆が力を出し合って運営していたため、何かしら手伝いが必要だったのです。

そして、徐々に有名な歌手やピアニストも出演するようになり、シューベルティアーデの輪は広がっていきました。
ここでシューベルトは自分の作品を発表することができ、次々と傑作を書いたのです。

シューベルトエステルハージ侯爵家の家庭教師となる

シューベルト21歳の年にようやく「イタリア風序曲第1番」が公開演奏会で演奏されました。
この曲はサバリッシュ指揮 イタリア風序曲』と検索すると、名門オーケストラの美しい演奏を聴くことができますよ。
8分の長さなので、是非聴いてみて下さい。シューベルトの明るい気質が感じられる、美しい曲です。

そして、ハンガリーのエステルハージ侯爵から、娘たちの音楽教師をしてほしいという依頼がありました。
お金の心配をする必要もなく、優雅に過ごせたこの夏は楽しい思い出となったようです。
ここではエステルハージ家の娘たちのために「4手のピアノ連弾曲集」を作曲したり、「ミサ曲第4番」「交響曲第6番 ハ長調」他、歌曲などを書いています。

シューベルト作品の公演と出版、一般への認知

シューベルト23歳の年には望んでいた作品の公演ができるようになりました。
ジングシュピール「双子の兄弟」と劇音楽「魔法の竪琴」が公演されたのです。
ジングシュピール「双子の兄弟」は戦争で別れ別れになった兄弟が再会するまでのオペラです。
ジングシュピールとは
ドイツ語による演劇的なオペラのこと。一般的なオペラのようにセリフまですべて歌うのではなく、劇のセリフの合間に歌が入るスタイルが特徴です。」歌劇で、モーツアルトの 「魔笛」が有名です。

このことで、シューベルトはようやく一般に知られるようになったのです。
その後、友人のフォーグルが劇場で「魔王」を歌い、作品が出版されるきっかけにもなりました。
出版されると言ってもシューベルトが望んだような成果はなかなか得られず、認められないことを苦にもしていたようです。

シューベルトが25歳の頃、尊敬していたベートーヴェンと会うことができ、連弾曲「フランスの歌による8つの変奏曲」を献呈しました。
ベートーヴェンはシューベルトの才能を認めて「シューベルトには神的なひらめきがある」と言ったという逸話があります。

不治の病と、死の淵で深まる精神世界

シューベルトは26歳で不治の病が診断されます。
しかし体調不良に悩まされながらも、これを転機に作風はより精神的な深みを増すようになりました。
これまでの若々しい溌溂さは影を潜め、人生の暗い淵を見ているような曲調が多くなっていきます。

傑作歌曲集「冬の旅」に込められた、自由への渇望

この時期には歌曲集「美しき水車小屋の娘」や弦楽四重奏曲「死と乙女」などの傑作を生みだしました。
そして最晩年には歌曲の最高傑作と呼ばれる、歌曲集「冬の旅を書いています。
「冬の旅」はロマン派の詩人、ヴィルヘルム・ミュラーの詩を題材としているものです。
失恋した若者が死を求め続けながら旅をするといった内容の、暗い詩につけた音楽です。

この詩の奥にはミュラーが夢見た自由主義社会への渇望が描かれていたとのことです。
シューベルトは自由主義社会への渇望に共感して、作曲したのではないかとも言われています。

検閲を逃れ、心の内を託した「器楽曲」

シューベルトは亡くなる少し前から交響曲や室内楽、ピアノ曲などを多く作曲していました。
それは当時の検閲から逃れる手段として、また器楽曲が霊感のままに、心の内を作品にすることができたからではないでしょうか?

最晩年のピアノ曲には幻想的なソナタ3曲が傑作として挙げられます。
深い悩みや静寂、神秘性などが表現され、聴いていると別世界にいるような気持になります。

シューベルト早すぎる別れ、尊敬する先輩ベートーヴェンのもとへ

1827年3月に尊敬するベートヴェンが亡くなり、シューベルトは松明をもってそのお葬式に参列しました。
しかしシューベルトは次の年1828年11月19日にお兄さんのフェルディナントの見守る中、31歳の若さで永遠の眠りについたのです。
体調の良くなかったシューベルトは、レストランで食べた魚料理に当たってしまい、腸チフスに罹ります。
死因は腸チフスと言われていますが、本当のところは分かっていません。

シューベルトのお墓はお兄さんの計らいで、尊敬しつづけていたベートヴェンのお墓のすぐ近くに作られたそうです。
二人は天国で語り合っているかもしれませんね。
お兄さんの優しさと、深い愛を感じます。

永遠の眠りについても、情熱と苦悩とから生まれたシューベルトの作品は今も生き続けて、私たちに語り掛けています。
生前は「歌曲王」として知られていましたが、交響曲や室内楽は埋もれてしまっていました。

ロマン派の作曲家シューマンがそれらの楽譜を見つけて、シューベルトの才能を発見したのです。

古典派からロマン派への橋渡しをした天才シューベルトの作品についてのブログです。
ぜひ読んでくださいね。

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