いよいよ、現代の「クラシック音楽」のルーツとなる時代が始まります!
ルネサンス時代までの音楽は、教会で歌われる「宗教音楽」が中心でした。
しかし、1600年ごろから1750年ころまでの「バロック時代」になると、私たちがよく知っているクラシック音楽の基礎ができあがります。
この時代、音楽家たちは宮廷や貴族、教会につかえ、彼らを喜ばせるためにたくさんの曲を作っていました。最初は「宮廷の飾り」のようだった音楽も、150年という長い時間の中で少しずつ変化し、やがて人間の豊かな感情や思想を表現するものへと進化していったのです。
この記事では、バロック音楽の歴史や特徴、大活躍した有名な作曲家たちをわかりやすく解説します。
ぜひ最後まで読んでみてくださいね!
バロック音楽はなぜ「バロック(いびつな真珠)」と呼ばれるのか?
バロックという言葉はポルトガル語のbarocco(いびつな真珠)から来たものと言われています。
変な名前ですよね。
なぜこのように言われたかというと、この時代には建築、絵画、彫刻などに派手で豪華なものが好まれ、それぞれが「やりすぎ」と言われるほどになったからです。
ルネサンスの「調和」からバロックの「過剰」へ
王様が権力を取りもどし、貴族社会が中心となっていったことから、宮殿や教会が競争するように、色彩豊かできらびやかな建物をつくるようになったのです。
絵画もドラマティックな内容を表現するものが多くなりました。
ルネサンス時代は「バランスの取れたきれいで理屈っぽい美しさ」が大切にされていました。
しかしバロック時代になると、力を持った王様や貴族たちが競い合うように、きらびやかでドラマチックな芸術を求めるようになったのです。
そのため、のちの時代の人々から「ルネサンスの完璧な美しさに比べて、形が歪んでいる(=バロック)」と批判を込めて呼ばれたのですね。
バロック音楽・王様や貴族の権力を表す、豪華絢爛な芸術の世界
音楽もルネサンス時代では教会が中心でしたが、バロックの時代は王様や貴族たちの晩さん会(夜のお食事会)やパーティーなどで、重要な役割を持つようになっていきます。
ただ、音楽はほかの芸術とは少し違って、もっとシンプルではあったのですが、それでも王様や貴族たちが求める華やかなもの、楽しいものが多く作曲されました。
バロック音楽は、後期ルネサンス音楽と教会音楽がむすびついた形となり、感情の表現が豊かになっていきました。
よろこびや悲しみ、怒りなどを音楽で表すようになったのです。
感情を揺さぶる「バロック音楽」の3つの特徴
バロックの初期のころは音楽の中心地がイタリアのフィレンツェやローマに移っていきます。
ルネサンス音楽は複数のメローディーが対等に扱われていましたが、バロック音楽は独唱のメロディーと伴奏というかたちに変わっていきます。
歌詞が聴こえやすいように、メロディーと伴奏とがはっきり分かれるようになったのです。
いま、私たちが歌っている曲のかたちがこの頃できたのですね。
バロック音楽・「通奏低音」と独唱スタイルの確立
ルネサンス時代は、複数のメロディーが同時に対等に流れる音楽(ポリフォニー)が中心でした。
しかしバロック時代になると、ホモフォニー(ひとつの主役メロディーを、伴奏が支える)という形が生まれます。
伴奏のパートは音楽を支えている一番低いパートで、通奏低音といいます。
通奏低音はおもにオルガンやチェンバロ(ピアノのご先祖)、他にチェロ、ビオラ・ダ・ガンバ(脚(あし)のビオラと言われ、チェロに似た楽器で弦が6本ある)などの弦楽器がメローディーを引き立てるため大活躍をしました。
バロック音楽・現代のヒット曲にも通じる「オペラ」の誕生
このようにして歌の曲が先に発達していき、オペラへとつながっていきます。
オペラはギリシャ悲劇を題材にした、ドラマティックな演劇と音楽を合体させたものでした。
バロック時代はオペラが数多くつくられた時代でもありました。
バロック音楽・楽器の進化と「協奏曲」の華やかな響き
そしていろいろな楽器が作られたのもこの時代の特徴です。
ヴァイオリンを始め、チェロ・ギター・マンドリンなどの弦楽器やチェンバロといった鍵盤楽器が作られたため、器楽のための曲がたくさん作られました。
チェンバロは後にピアノへと発達する楽器です。
繊細でキラキラした音に特徴があります。
ヴェネツィアでは教会音楽にも管楽器を取り入れ、聖歌にトロンボーンで伴奏をつけたりもしていました。
この時生まれたのが協奏様式です。
歌と器楽が対話しているようにして作り上げられた音楽の形です。
そしてもう一つ複数の楽器と弦楽器で演奏する、合奏協奏曲が生まれました。
現代でもヴァイオリンやピアノのソロと管弦楽で演奏される協奏曲は、良く演奏されますが、華やかでスリリングな感じがありますよね。
バロックの旋律ヨーロッパ各地へ広がる
イタリア・フランス:華麗なる宮廷音楽の融合
イタリアで生まれたオペラや通奏低音が、ヨーロッパ各地に広まっていきます。
フランスでは既に独自の宮廷バレエや世俗音楽が盛んに行われていました。
イタリアから呼ばれた音楽家によって、イタリア風の音楽とフランス音楽を合わせた新しいスタイルの音楽が生まれたのです。
ここで活躍したイタリアの作曲家ジャン=バティスト・リュリは、宮廷音楽の数々を作曲したことで有名です。
作曲家については章を分けて詳しくお話しますね。
バロック音楽・ドイツ・オーストリア:パッフェルベルからバッハ一家への系譜
オーストリアやドイツではどんな動きがあったのでしょう?
オーストリアの宮廷ではイタリアから音楽家を呼び、イタリアの音楽がさかんに演奏されています。
ドイツは南の地方で宮廷音楽が盛んでした。
イタリアで勉強した音楽家たちが活躍し、イタリアの教会音楽がドイツ語で歌われたりしたのです。
この時期に重要な音楽家として、ヨハン・パッフェルベル(1653~1706)年があげられます。
パッフェルベルの「カノン(輪唱)」が有名ですね。
パッフェルベルはドイツの著名なオルガニストです。
子供のころから知的好奇心が盛んで、音楽的才能も並外れていたので、著名な作曲家から音楽を学んでいたそうです。
また、バッハ一家と交流があり、ヨハン・ゼバスティアン・バッハにも大きな影響を与えたとされています。
一方北東ドイツでは、宗教改革や宗教戦争(30年戦争1618~1648年)のため貧しく、人びとは信心深く働き者で、地味な生活を良しとしていました。
そのため新しい音楽の発展はあまり無く宗教音楽が主流でした。
バロック音楽・イギリス:パーセルが築いた独自のスタイル
イギリスではどうだったのでしょうか?
初期のころのイギリス独特の音楽から、しだいにイタリアのモノディー様式やアリアの影響を受けて、新しい音楽が生まれていました。
この頃のイギリスの作曲家として有名なのは、ヘンリー・パーセルです。
イタリア音楽とフランス音楽を取り入れ独自の作風を打ち立てました。
この時代のイタリア音楽が、ヨーロッパの広い地域に影響を及ぼしていて、どんなに重要だったかが分かりますね。
バロック音楽の三大巨匠 ― バッハ、ヘンデル、ヴィヴァルディ
バロック時代の最後(後期)に、音楽の歴史を根底から変える三人の天才たちが誕生します。
同じ1685年という「奇跡の年」に生まれたバッハとヘンデル、そして彼らより少し早く、イタリアに生まれたヴィヴァルディ。
同時代に生きたこの三人は、その生き方や遺した音楽の個性が、驚くほど正反対でした。
今回は、そんな三者三様のドラマチックな人生をご紹介します。
バロック音楽・「赤毛の司祭」アントニオ・ヴィヴァルディ
バッハとヘンデルより7年早く、1678年にイタリア・水の都ヴェネツィアで生まれたのが、アントニオ・ヴィヴァルディ(1678〜1741年)です。
ヴィヴァルディはカトリックの聖職者(神父)で、生まれつきの髪色から「赤毛の司祭」という愛称で親しまれていました。
しかし、ヴィヴァルディは教会の仕事よりも、音楽活動に情熱を傾けたのです。
特に有名だったのが、身寄りのない少女たちが集まる孤児院「ピエタ」での音楽指導です。
ヴィヴァルディは彼女たちのために数え切れないほどの曲を書き、その合奏団はヨーロッパ中で評判になるほどの高い演奏レベルを誇りました。
ヴィヴァルディの作曲における最大の功績は、ソロ楽器とオーケストラが掛け合う「協奏曲(コンチェルト)」にあります。
「速い・遅い・速い(急・緩・急)」の3楽章スタイルを完成させたのです。
その代表作が、今も世界中で愛されている不朽の名作『四季』なんです。
春の鳥のさえずりや、夏の嵐、秋の収穫の喜び、冬の寒さに震える足取りなど、自然の情景を鮮やかに描写したこの作品は、のちの作曲家たちに決定的な影響を与えたのです。
実は、ドイツから出たことのなかったあのバッハも、ヴィヴァルディの楽譜を熱心に書き写して、その最先端のイタリア音楽のスタイルを勉強していたんですよ。
バロック音楽・「音楽の父」ヨハン・ゼバスティアン・バッハ
続いて誕生したのが、現在「音楽の父」として音楽史上最も偉大とされているヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685〜1750年)です。
現代では偉大なバッハとして知られていますが、意外なことにバッハは生きている間、ヨーロッパ中に知られるような有名人ではなかったのです。
バッハは生涯、ドイツから一歩も出ることなく、教会のオルガニストや宮廷の楽長としての活動を熱心に行っていました。
日々の礼拝や行事のために職人のように黙々と作曲を続ける、地味で真面目な一生を送ったのです。
バッハにとって音楽は、神に捧げる純粋な祈りそのものだったのです。
そんなバッハの書いた、数学的とも言えるほど緻密で美しい音楽は、バッハの死後しばらく忘れられ埋もれていました。
作品が日の目を見たのは、死後約80年も経ってからのことでした。
当時、若き作曲家メンデルスゾーンが、バッハの傑作『マタイ受難曲』を発見しました。
メンデルスゾーンは1829年に『マタイ受難曲』を復活演奏し、ようやく世界はバッハの真の偉大さに気づいたのです。
もしメンデルスゾーンがバッハの作品を発見していなかったら、その後の古典派音楽(モーツァルトやベートーヴェンなど)の歴史はどんなものになっていただろうと、考えてしまいますよね。
バロック音楽・「時代のスター」ゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデル
バッハと同じ1685年に、同じドイツの地で生まれたのが、ゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデル(1685〜1759年)です。
しかし、ヘンデルはバッハとは全く異なる、ヨーロッパを股にかけた華やかな「国際的スター・プロデューサー」としての人生を歩みました。
21歳のころ、音楽の流行の最先端であったイタリアのフィレンツェに留学し、劇的なオペラと出会います。
その後移り住んだローマでは、時のローマ教皇によって娯楽性の高いオペラが禁止されていました。
そこでヘンデルは負けじと、宗教的な物語をドラマチックに描く「オラトリオ」や「カンタータ」を作曲して才能を発揮したのです。
ヘンデルの劇に対するセンスは瞬く間に評判となり、各国から引っ張りだこになっていきます。
やがて彼は、イギリスのロンドンに活動拠点を移し、得意のイタリア・オペラを次々とヒットさせます。
ヘンデルの華やかで豪華絢爛な音楽は、ロンドンっ子を熱狂させ、イギリス王室の公式行事の音楽も任されるほどになっていきます。
最終的にヘンデルはイギリスに帰化し、生涯をこの地で過ごすことになったのです。
晩年に発表された不朽の宗教曲『メサイア』は、今なお人類の至宝として歌い継がれています。
ヘンデルの『メサイア』は年末の宗教的行事やコンサートで取り上げられることが多いので、耳にされた人も多いのではないでしょうか。
三者三様のバロック音楽
バッハが生涯を真面目で内省的なオルガニストとして過ごしたのに対し、ヘンデルはヨーロッパ中を沸かせた華やかな劇場のスターでした。そしてヴィヴァルディは、水の都ヴェネツィアの光と情熱を音楽に宿し、後に続く二人の道標となりました。
異なる強烈な個性を持った三人が、同じ時代に切磋琢磨(あるいは間接的に影響を与え合い)したからこそ、バロック音楽はこれほどまでに美しく豊かな黄金期を迎えることができたのですね。
皆さんは、どの巨匠の音楽にいちばん心惹かれますか?
バロック音楽から「古典派」の時代へ
バロック音楽は、それまでの教会のための音楽から、人々の感情を揺さぶる華やかな音楽へとクラシック音楽を進化させました。
バッハやヘンデルが亡くなると、バロック時代から、次なる「古典派音楽」の時代へと移り変わっていきます。
次回は、みなさんもよく知っているハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンといった天才たちが登場する「古典派」についてお話しします。お楽しみに!

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