いよいよクラシック音楽の時代が始まります。
ルネサンスの音楽の時代には、まだ今でいうクラシック音楽では無く、教会音楽が中心となっていました。
現在、クラッシク音楽と言っているのは1600年ころから1750年ころの、バロック時代から始まった音楽です。
それでは、バロック時代の世の中の移り変わりと、そこで生まれた音楽や楽器、作曲家についてお話していきましょう。
バロックとは?
バロックという言葉はポルトガル語のbarocco(いびつな真珠)から来たものと言われています。
変な名前ですよね。
なぜこのように言われたかというと、この時代には建築、絵画、彫刻などに派手で豪華なものが好まれ、それぞれが「やりすぎ」と言われるほどになったからです。
王様が権力を取りもどし、貴族社会が中心となっていったことから、宮殿や教会が競争するように、色彩豊かできらびやかな建物をつくるようになったのです。
絵画もドラマティックな内容を表現するものが多くなりました。
ルネサンス時代に尊ばれた理性的な表現とくらべて、バロックの建築や芸術は華やかなものになっていったのです。
バロックとはルネサンス時代の調和と均衡の美に比べて、いびつなものに見えるという批判から出た言葉だったのですね。
バロック音楽の特徴
音楽もルネサンス時代では教会が中心でしたが、王様や貴族たちの晩さん会(夜のお食事会)やパーティーなどで、重要な役割を持つようになっていきます。
ただ、音楽はほかの芸術とは少し違って、もっとシンプルではあったのですが、それでも王様や貴族たちが求める華やかなもの、楽しいものが多く作曲されました。
バロック音楽は、後期ルネサンス音楽と教会音楽がむすびついた形となり、感情の表現が豊かになりました。
よろこびや悲しみ、怒りなどを音楽で表すようになったのです。
バロック初期のころには、音楽の中心地がイタリアのフィレンツェやローマに移っていきました。
ルネサンス音楽は複数のメローディーが対等に扱われていましたが、バロック時代は独唱のメロディーと伴奏というかたちに変わっていきます。
歌詞が聴こえやすいように、メロディーと伴奏とがはっきり分かれるようになったのです。
いま、私たちが歌っている曲のかたちがこの頃できたのですね。
伴奏のパートは音楽を支えている一番低いパートで、通奏低音といいます。
通奏低音はおもにオルガンやチェンバロ(ピアノのご先祖)、他にチェロ、ビオラ・ダ・ガンバ(脚(あし)のビオラと言われ、チェロに似た楽器で弦が6本ある)などの弦楽器が受け持っていました。
このようにして歌の曲が先に発達していき、オペラへとつながっていきます。
オペラはギリシャ悲劇を題材にした、ドラマティックな演劇と音楽を合体させたものでした。
バロック時代はオペラが数多くつくられた時代だったのです。
そしていろいろな楽器が作られたのもこの時代のとくちょうです。
ヴァイオリンを始め、チェロ・ギター・マンドリンなどの弦楽器やチェンバロといった鍵盤楽器が作られたため、器楽のための曲がたくさん作られました。
チェンバロは後にピアノへと発達する楽器です。
繊細でキラキラした音に特徴があります。
ヴェネツィアでは教会音楽にも管楽器を取り入れ、聖歌にトロンボーンで伴奏をつけたりもしていました。
この時生まれたのが協奏様式です。
歌と器楽が対話しているようにして作り上げられた音楽の形です。
そしてもう一つ複数の楽器と弦楽器で演奏する、合奏協奏曲が生まれました。
現代でもヴァイオリンやピアノのソロと管弦楽で演奏される協奏曲は、良く演奏されますが、華やかでスリリングな感じがありますよね。
バロック中期になると、イタリアで生まれたオペラや通奏低音が、ヨーロッパ各地に広まっていきます。
フランスでは既に独自の宮廷バレエや世俗音楽が盛んに行われていました。
イタリアから呼ばれた音楽家によって、イタリア風の音楽とフランス音楽を合わせた新しいスタイルの音楽が生まれたのです。
ここで活躍したイタリアの作曲家ジャン=バティスト・リュリは、宮廷音楽の数々を作曲したことで有名です。
作曲家については章を分けて詳しくお話しますね。
オーストリアやドイツではどんな動きがあったのでしょう?
オーストリアの宮廷ではイタリアから音楽家を呼び、イタリアの音楽がさかんに演奏されています。
ドイツは南の地方で宮廷音楽が盛んでした。
イタリアで勉強した音楽家たちが活躍し、イタリアの教会音楽がドイツ語で歌われたりしたのです。
この時期に重要な音楽家として、ヨハン・パッフェルベル(1653~1706)年があげられます。
パッフェルベルの「カノン(輪唱)」として有名ですね。
彼はドイツの著名なオルガニストで、子供のころから知的好奇心が盛んでした。
音楽的才能も並外れていたので、著名な作曲家から音楽を学んでいたそうです。
また、バッハ一家と交流があり、J・S・バッハにも大きな影響を与えたとされています。
一方、宗教改革や宗教戦争(30年戦争1618~1648年)のため貧しかった北東ドイツでは、人びとが信心深く働き者で、地味な生活を良しとしていたので、新しい音楽の発展はあまり無く宗教音楽が主流でした。
イギリスではどうだったのでしょうか?
初期のころのイギリス独特の音楽から、しだいにイタリアのモノディー様式やアリアの影響を受けて、新しい音楽が生まれました。
この頃のイギリスの作曲家として有名なのは、ヘンリー・パーセルです。
イタリア音楽とフランス音楽を取り入れ独自の作風を打ち立てました。
この時代のイタリア音楽が、ヨーロッパの広い地域に影響を及ぼしていて、どんなに重要だったかが分かりますね。
バロック後期には音楽史上で最も偉大とされているヨハン・セバスティアン・バッハ(1685~1750年)が誕生しました。
バロック音楽というと、バッハやヘンデルのことを思いうかべる人が多いのですが、実はバロック音楽の大きな特徴は、今まで見てきたようにオペラと宮廷音楽なのです。
バッハもヘンデルもバロック期の最後に現れたのです。
しかもバッハは生きている間は、教会のオルガニスト、宮廷の楽長としての活動が主で、ドイツから出ることも無く、ヨーロッパ中に知られる人ではありませんでした。
死後80年ほどたって、メンデルゾーンが「マタイ受難曲」を演奏したことで評価が高まり、今の私たちが知るバッハになったわけです。
バッハについては別の章で詳しくお話ししますね。
そしてもう一人、ゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデル(1685年~1759年)はバッハと同じ年に生まれています。
でも、全く別の場所で活動したのです。イタリアやイギリスなどヨーロッパで広く活躍しました。
オペラやオラトリオなどで名声を得て、国際的な人気者になったのです。
2Ⅰ歳のころイタリアのフィレンツェに留学し、オペラに出会います。
ほどなく移り住んだローマでは、教皇が娯楽性の高いオペラを禁止していたため、オラトリオ(宗教的な音楽劇)やカンタータ(声楽曲)を作曲しました。
しかし、ヘンデルの数少ないオペラ作品に人気が集まり、各国から引く手あまたになっていくのです。
やがてイギリスのロンドンに移り住み、イタリアオペラを作曲。
ヘンデルのドラマティックで豊かな音楽は、ロンドンっ子に大変な人気となりました。
こうしてイギリスで成功を収めたヘンデルは、イギリスに帰化し生涯をイギリスで過ごしたのです。
バッハが生涯を真面目で地味なオルガニストとして過ごしたのとは、対照的で華やかな人生だったのですね。
次回は古典派音楽のお話をしますね。
いよいよハイドン、モーツアルト、ベートーベンが誕生します。
きっとよく知っている作曲家たちのことだと思います。
楽しみにしていてくださいね。

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